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    「ルターの改革派教会【ルーテル教会】の今日まで」


 ルター自信は、教会に自らの名を与えることにあくまでも拒否の姿勢を貫いたが、(1) 今日全世界にルーテル教会、またはアウグスブルグ信仰告白の教会の数は多く、信徒数も多い。ルターの福音宣教について考える場合、宗教改革そのものの推移と切り離して考えることはできない。
  歴史的な外観は以下のようなものである。宗教改革の影響はいちはやく北欧に広がった。すなわちその精神、信仰的気分も広がっていった。デンマーク(ノルウェイ)では1536年、に国王によって、カトリックの上位聖職者を追放する形で宗教改革の導入が行われた。スエーデンではデンマークからの 独立(1523)ともからんで、上位聖職者をふくめての導入が1524年には実現して、独自の国教会の形成に至った、そしてフィンランドなどでは人工の90%以上が教会に属している状態である、という具合である。またドイツやスカンジナビア諸国からの移民という形で、全世界に宣教はなされていったが、これに対して、18世紀以降、ヨーロッパやアメリカからの海外伝道によって成立したアジアやアフリカのルーテル教会もある。そして我々が日本において接触してきた、ルーテル教会もこの流れに多くは属するのであるが、アフリカ全体で300万人、インド100万人、インドネシア180万人等々という数に及んでいる。(2)このように見ると、イエズス会などに見られた状況とは異なり、分析が必要となるであろう。 ルターの聖書理解はしかしきわめて宣教の大切さの理解に満ちた者であり、「教会の生命の基礎は神のことばであり、神のことばの基本的な形態は、説教によって語られる・・・」。(3)
  それでは、ルターの福音宣教の本質は、またその神学が何であったかについて考えてみなければならない。カールシュタットに対する反論として『天来の予言者らを駁す』(1525)を著し、霊的なものを身体的に取り扱い、外的な集まりにしたがこの徒党的霊の持ち主(Rottengeister)は神が身体的・霊的に造りたもうたものをひたすら霊的に企てている。同様な批判が選民の契約団体を形成して社会的改革を企図したミュンツァーにも向けられ、彼をそに実質的代表と見なした。(4)またツイングリ主義者や再洗礼派に対しても「教皇と同じく、キリスト抜きで、または、外的な言葉とサクラメント抜きで神への接近を考える者、あるいはこの世の権威と霊的権威の混同をもたらすものと考え、熱狂主義者といわれる人たちとの抗争のなかに、彼の神学も形成されていったとも理解される(Ernst Troeltschなど)。(5)
 修道院などが衰退していく中で、ルター派、大小教理問答を始め多くの機会に、個人の教育の大切さを強調し、初代教会からそうであったように、宣教と教えを不可分なものとルターも考えた。カテキズムの目的もここにあったし、「十戒についての説教」から「教理問答説教」(1528)新居たるまで 多くの、混乱の中にある民衆に期待をする説教も行っている。「ルター(派)の福音宣教」を言う言葉から出発するならば、福音と切り離せない教えと、理解できない、ある時には迷信めいた「礼拝」から人々を解放するところにあった(6)
  教皇に対する姿勢や急進派に対する「聖書のみ」、「信仰のみ」という立場からの、これらの言葉自体更に内容について明らかにされなければならないとしても、抗争のただ中を駆け抜けたルターの(すなわち宗教改革の)神学の中に、直接大きな項目として「聖書」、「義認」論などと並んで福音宣教論は 見いだせない。けれども、聖書中心主義というたちば、既成の巨大教会制度に関わる立場、人文主義的騎士たちに見せたルターの態度、神の業と社会の動きに関する見解など全ては、受け継がれていった。ルター派とは自らを称していないにしても、この信仰的立場に立脚するところが多いのである。日本に於いても「カトリックとプロテスタント」という構造理解は教会のものではなくなっていることからも、ルターの福音宣教論あるいはその姿勢の存在したことが理解されよう。その後教会は告白教会の時代を経、敬虔主義、啓蒙主義とそれぞれまとめて理解される時代を経過し、今日に至っているが、教会観は時の政治権力とどのような関係にあったときも変わらなかった。文化との係わりに関してもそうであった。不完全なものであったヴルガタからのドイツ語聖書の編纂など、今日ではプロテスタント諸教会が当たり前のように考えている事柄の多くも、ルターの福音宣教の立場の中心といえよう。その他我々が改革者とその宣教ということについて述べるとき、その名が示すとおり、改革というスケールをあてはめようとするが、それは一般的には、「キリスト教巻」と呼ばれる地域の内部で展開されたことをも意味し、メソディスト運動や、更に後のホーリネスの動きも、そうであった。
  新しい宣教に対して、多くの書物に、二十一世紀は、近代西洋の圧倒的で強烈なパラダイム理解による時代は終わり「「共生」、「成熟」、「平和」の時代になることが。あるいはそのような尺度を持った時代になると解説されている。(7)そのようなときに教会が放棄してはならないこと、ルターが提起し てくれたことを筆者は以下のようにまとめる。議論は尽くされなければならないし、礼拝を中心として営まれている教会論、礼拝論も相互に動員されなければならない。また先に、「共存」という言葉が使用されたが、シンクレティズム(8)に関わる我々の理解も保たれなければならない。
    ・議論を停止、あるいは放棄してはならない。そこにシンクレティズムが発生するのである、我々は、「どこまでをキリスト教会」といえるかなどといったボーダーを設定しようとするのではなく、「出発点から聖書の方にベクトルが向いているかどうか」に注目すべきである
    ・さらに教会に必要な奉仕として、神学が主によって与えられていることの確認が必要である。
    ・これには、エキュメニカルな視点が必要である、現代に文化と宣教との絡み合いの中で我々の礼拝は、「見られており」我々も見ており、参加し、担っているのである
    ・福音への期待への確信、すなわち「福音」について語るなら「九十五の提題」が言うように罪と福音の問題として、我々の知れる罪も知らざる罪に対しても、主がなにをなしたもうたかを、常に基礎とすること
   これらをルターと宗教改革者たちが残した、神学的宣教姿勢のスローガンとして提案したい。
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1. ルターは何一つ「新しいもの」を提案したとはいっていない、「ルターだけしか知らない人が、どうして本当にルターを知っているといえようか」,Gordon Rupp,:"Patterns of Reformation",1969,s.XIII.めあたらしい言葉はあったにせよルターは、本当に、ただ一度の神の御業に対して、変更を加えようなどとはしていない。
2. 数値、年等は、『ルターと宗教改革事典』、教文館、pp.274-275、による。
3. ペリカン、「聖書と神のことば」『ルターの聖書釈義』聖文社、等に詳しく記されている。
4. 『ルターと宗教改革事典』、p.226、「ウィッテンベルク騒動」に関して
5. アウグスブルク信仰告白5や、四都市信仰告白(スイス12−14)に強烈に引き継がれている。
6. 『ルターと宗教改革事典』、pp.100-103
7. たとえば、斉藤孝志、「あとがき」『これからの日本の宣教』、東京ミッション研究所編、いのちのことば社、p.254
8. 多く「混合主義」、(例えば『新キリスト教事典』などでは)と訳されているが、更に危険な「(本質を失う)変質主義」、「迎合主義」という訳も可能なように筆者には思われる。
-------------------------------------96/08/06 8:49 AM

Copyright (C) 1995  Sadayuki M.

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